実物資料の紹介を続けます。このたびはスケッチの2回目です。
 現在、常設展示室の「救護・収容」コーナーには、壁面に色調の濃い四点のスケッチが複製にて展示されています。そこには、仮繃帯所の実態やろうそくの灯りの下での手術風景などが描かれています。もとより、この原画はごく小さなものであり、しかも色調も淡いものですが、最前線での傷病者救護の一端を今に伝えるものであることに変わりはありません。また、各作品には背景情報が描き手によって、詳細に記されています。
 作品より明らかなように、描き手は救護・収容をその任とする隊附の衛生兵でした。昭和18年12月の出征以降、描き手は上海、高雄、そしてサイゴンを経てプノンペンに到達。その後、空襲に遭遇しつつも鉄道によりビルマに至ります。ここより以降が、スケッチの対象となります。展示の4作品は、昭和22年7月の復員までの隊附衛生兵としてビルマで体験した事柄を、近年(平成17~18年)に至り描いたものの一部でした。

 展示作品はいずれも救護・収容に密接に関わるものですが、これ以外にも様々な局面が描かれています。首まで水に漬かりながらの渡河の模様、繃帯所として使用した廃墟同然の砂糖工場、隊附衛生兵としての自身の軍装姿、そして埋葬用の大穴。日に15~16人は出たという死者を埋葬するために10トン爆弾を用いてあけた大穴も、軍の移動時には既に満杯となっていたといいます。ここを木の枝等で覆い、移動したとのことでした。
 なお、展示作品には描き手自身が現れるものもあります。マラリアにより衰弱した同郷の戦友を背負う兵こそ、自身の前線での姿でありました。この戦友は後に野戦病院にて脳症で急死しますが、描き手はこの時のことを「愛惜の涙を滂沱(ぼうだ)として流した」と回想しています。



埋葬用の大穴


マラリアの戦友を背負う

ここに紹介のスケッチは、いずれも「情報検索コーナー」(当館1F)にてモニター上で閲覧が可能です。かつて隊附衛生兵であった描き手の記憶から消え去ることなく、スケッチとして再現された救護・収容の一端を、どうかご覧ください。     
(次号に続く)


体験記は、当館1階図書コーナーにて閲覧できます。
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2007年