多くの命を救った病院船

 先ごろ、ノーベル化学賞を受賞した下村修博士が、最後の太平洋横断の航海に出る氷川丸に、フルブライト留学生として乗船したのを初めて新聞報道で知った。
昭和35年のことである。
人に歴史があるように、船にもさまざまなドラマがある。

 特に横浜港の山下公園に係留されている氷川丸は、波乱万丈の生涯を過ごし、現在は、その来し方を振り返りながら、公園で余生を静かに過ごしているように見える。
昭和5年に客船として横浜で竣工した氷川丸には、あの喜劇王チャップリンや皇室関係者も乗船し、華々しい話題を振りまいた。
それが一転、日米関係が悪化した昭和16年11月には、病院船として海軍に徴用され、その後5年間、南方方面で戦傷病者の治療に専念。
終戦後は、復員・引揚者輸送に尽力、昭和28年には貨客船を経て、同年7月に日本唯一の太平洋横断客船として復活した。

 しょうけい館(2F)に展示されている病院船氷川丸の模型(写真)は、純白の船体に緑の帯、赤十字の標識が大きく描かれ、夜間は赤緑灯を点灯し航行した。
船内の傷病兵は故郷の家族を思い、「片足を失った私をどう見るだろうか」と心を痛めた。
館では、白衣を纏った戦傷病者の様子も、当時の貴重な記録フィルムで鑑賞することができる。


(話題創り研究所所長/小暮進)

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2009年