ホーム/ 内容紹介/ DVD Vol.8
内容紹介

当館では、証言映像“戦傷病者の労苦を語り継ぐ”を収録しております。これらは、戦争で傷つき、病に倒れた多くの戦傷病者とそのご家族が体験した労苦を現在に語り継ぐ貴重な資料映像です。当館1階の証言映像シアターで約1ヶ月ごとに入れ替えて上映するとともに、情報検索コーナーでも自由に閲覧できます。
また、DVDの団体貸出も無料で行っています。お気軽にお声がけください。

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S8−1

シベリア抑留、そして結核…それを支えた妻  (16分11秒)

 関東軍経理部693部隊の軍属として満洲に勤務。昭和20年に臨時召集され終戦を迎える。その後、シベリアのレチホフカへ抑留され、収容先で肺結核を発症。3年4か月の抑留生活を経て帰国。仕事は、病気の再発による入退院の繰り返しで労苦した。妻は洋裁学校に通い、洋裁店を開いて生活を支えた。

S8−2

四肢を火傷…二度と操縦桿をにぎれなかった  (14分19秒)

 志願して少年飛行兵となる。昭和20年4月、沖縄の宮古島で搭乗していた爆撃機の離陸時の炎上事故により顔・両手・両足に大火傷を負う。その後、病院での療養中に肋骨カリエスを発症し手術を受ける。半年あまりの闘病生活を経て、昭和21年3月に復員。顔の火傷は目立たなくなったが、左手小指は手の平にくっついたままなので不便や労苦を感じるという。

S8−3

三回の入院を乗り越えて (13分49秒)

 中国江蘇省で幹部候補生として訓練を受ける。昭和19年7月、炎天下のため熱射病にかかり意識不明となり入院。その後も体調を崩し再度の入院生活を経ながらも予備士官学校を卒業。昭和20年7月、満洲で輸送業務に従事中、敵の銃弾を背中に受け負傷。昭和21年に帰国、その後郷里の広島に戻り教師に復職した。昭和54年、傷みが生じ診断の結果、銃弾が原因と判明。42年ぶりに摘出された。

S8−4

一昼夜の恐怖に耐えて  (13分31秒)

  昭和13年、呉海軍工廠に勤務中、臨時召集され、歩兵聯隊に入営。15年8月、中国山西省での銃撃戦で左脚を受傷し、沢へ転落。戦友に発見されるまで一昼夜を過ごす。野戦病院から北京第二陸軍病院に転院、内地還送される。膝を曲げる訓練を受け、あぐらがかけるまでに回復し、退院。16年に復職し、19年に結婚。その時、正座していないことに心ない囁きを耳にする。これ以降、会合などには妻が代理を務めた。

S8−5

小学校を出て先生に  (15分28秒)

 救難船「二神」に機銃手として配属。昭和19年2月18日未明、トラック諸島夏島附近で敵の機銃掃射を受け左肘・右下大腿部を負傷し海軍病院へ搬送。止血したままの左腕は壊疽となり切断手術を受ける。昭和20年3月、島根の傷痍軍人の教員養成所に入所し、戦後は小学校の先生としてへき地教育に尽力。ついには校長へと昇格し、妻の労苦をねぎらう。