S11-1短歌に心を映して(14分10秒)

昭和16年12月、中国安徽省で証言者は手榴弾により左腕に受傷する。搬送先の陸軍病院で左上腕を切断。復員後はまだ若かったので、人目を気にして義手を常に装着していたと語る。その後、傷痍軍人の職業補導所で製図の技能を修得し、作業用義手を装用して仕事に励む。一方、東京での療養中より始めた短歌に傾倒し、近年になり歌集を出版する。証言者は四季の移ろいや戦時の記憶を短歌に託す。

S11-2ともに歩みし いばらの道ー戦傷病者の妻としてー(18分06秒)

戦傷病者の妻の語り。昭和17年3月、中国の蕪湖での戦闘時、証言者の夫は地雷により両腕と右眼に重傷を負う。その手術は二十数回に及んだ。その後、入院中の臨時東京第一陸軍病院で証言者と見合いをし、昭和18年4月に結婚する。証言者は自らの意志で戦傷病者の妻となった。思うに任せぬ身体の夫の介助、育児、家業の手伝いと日常生活は戸惑いと苦労の連続であった。しかし、当時は若かったので、三人の子ども達とともに希望をもって生きてきたと回顧する。

S11-3想いを絵筆に込めて(16分12秒)

昭和19年3月、証言者はビルマで左腕を受傷する。インパール作戦の途上、トラックが急カーブで荷台の梱包物資もろとも谷底へ転落しての受傷だった。そして3~4日を要してカロー兵站病院に到着し、手術を受けるも完治はしなかった。その後、戦況の悪化から証言者は3ヶ月を要してタイのチェンマイへ向かう。当時を「死を覚悟して生きていたから辛いとは思わなかった」と振り返る。また、ビルマでの体験からは前向きな姿勢の重要さを学び、生きるうえで励みになったと回顧する。なお、戦場体験は近年スケッチとして描かれている。

S11-4不安と葛藤を乗り越えて(17分57秒)

昭和20年2月、証言者は中国の徐州で列車への空爆により、頭部から顔面にかけて受傷する。搬送先の南京の陸軍病院で、両眼に巻かれた包帯を徐々に外し、光が見えた時の嬉しさは忘れられないと語る。一方、戦後に眼の不調を覚えた際、失明したら死のうと思ったとのこと。夫人ともども、傷痍軍人会等の役員を務める機会が証言者は多かった。眼が見えた時の喜びが何よりだったから、皆が大事にしてくれるから、それゆえに自分もまた人のために尽くすのであると語る。

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