竹彫刻

 企画展「箱根療養所で生涯を終えた戦傷病者」開催中に、箱根病院の関係者の方にも多数ご来館頂きました。
 約50年前まで入所していた戦傷病者のご家族(奥様とご子息)*1のお話を聞く機会もありました。ご子息と言っても戦時中のお生まれなので、すでに70歳を超えておられます。
 終戦間際の昭和20年頃、お父様が戦傷による脊髄損傷で陸軍病院に入院したことは、かすかに記憶されているそうです。お父様が歩けないことを知ったのは小学校3年生頃で、その時はかわいそうにと思ったそうですが、戦争で負った傷なのだと、お父様の車椅子を堂々と押して歩いたと話されました。
 他にもお父様が得意とされていた竹彫刻*2のお話も伺いました。お母様が長さ1m前後の竹を二つに割り、角の部分を丸く面取りし、ご子息は節の裏側を削る作業を手伝われたそうです。これをお父様が車椅子から身を乗り出すようにして、様々な短歌や漢詩の文字を彫刻されたのですが、他にもだるまの絵などが得意だったとのことです。
 お父様の思い出を話される時、いきいきと輝く目と、記憶を呼び覚ますように、懐かしそうに話される姿が印象的でした。
 貴重なお話をありがとう御座いました。

*1:傷痍軍人箱根療養所は戦時中、戦傷病者の身の回りの世話をするために妻子の入所が許可されていました。

*2:戦後、軍人恩給のカットなどで生活が困難となり、戦前から行っていた竹細工(竹編み)や竹彫刻をおこなって生活費の足しにしていました。

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2014年