突然、あなたや家族の眼が見えなくなったら、明日からの生活はどうなるか、想像できますか。戦地で負傷したため眼が不自由となり、『まさか結婚できるとは思わなかった・・・』と語る戦傷病者の夫。また、「失明の主人との生活、思い出しても涙がでます。はじめは、主人は光のないもどかしさに打ちひしがれる毎日、明日への希望もなく戦争ほど皆が不幸になるものはありません。それこそ二度と絶対に起こしてはいけない惨禍です。そんな思いをかかえて懸命に生きぬいた人です。」と、妻は振り返っています。 |
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今ほど物資が豊富ではなかった昭和。衣服は、妻・母親・姉など家族の手作りが普通だったのです。 |
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鈴木栄さんは、大正2(1913)年7月、富士郡須津村(現在は富士市)に生まれました。昭和9年1月20日、現役兵として静岡第34連隊第2中隊に入隊、青春時代の大半が軍隊生活となりました。昭和13年5月17日に、中国徐州にて第十二胸椎盲管銃創を負い、脊髄損傷となり、歩くことができなくなりました。結婚して以来、長年にわたって、夫の介護をしたのが、妻・不二子さんです。栄さんは、昭和62(1987)年12月25日、ご逝去されました(享年74歳)。家族のアルバムにあった写真と妻の証言から、戦傷病者ご家族が歩んだ足跡をたどってください。 |
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