日本における障がい者スポーツの歴史は、今から80年ほど前に遡ります。
戦争によって傷ついた傷病兵は体の一部を失ったり、後遺症として機能障害が残ったりしました。そのため、自身の身体機能の回復を目指す訓練の一環としてスポーツ大会が開かれるようになりました。この写真では、片脚が義足の傷病兵が綱引きをしています。
これも、傷病兵によるスポーツ大会の様子です。パン食い競走ならぬ
他にも傷病兵によるスポーツ大会の写真があります。
昭和16(1941)年に臨時東京第一陸軍病院で行われた大会の写真です。片腕片脚の傷病兵が競う自転車競走(写真左上)、失明の傷病兵と看護婦が協力する
昭和17(1942)年に小石川後楽園スタジアムで行われた大会の写真です。長い帽子をかぶって台の下をくぐる障害物競走(写真左上)と二人三脚(写真右下)をしています。
この大会は、戦時中最大規模の傷病兵のスポーツ大会でした。東京の陸軍病院や軍医学校、職業指導所などから約4000人の傷病兵と、6000人もの国民学校の児童が参加しました。
このように、戦争によって傷ついた傷病兵は、自身の身体機能の回復を目指す訓練の一環としてスポーツ大会に出場していました。このスポーツ大会において傷病兵たちは、綱引き、自転車競走、障害物競走など様々な競技を行いました。
しかし、この時の競技は、傷病兵が再び国のために一身を捧げる「再起奉公」という意味合いが強かったため、記録を残すというものではなく、見せ物としての性格が強いものでした。