ここでは1964年東京パラリンピック第1部国際大会のカラー記録映画を紹介します。当時のパラリンピックのカラーによる記録映画は現在確認されているものではこの作品しかありません。

「PARALYMPIC TOKYO 1964」というタイトルの記録映画は、厚生省・国立箱根療養所(当時)が企画・製作しました。

昭和39(1964)年11月8日から12日まで開催された第1部国際大会には、20か国以上、約370名が参加し、東京代々木のオリンピック村を中心に盛大に行われました。

映画には、開会式の様子や15の競技・種目、会場周辺が記録されています。


開会式は、名誉総裁の皇太子殿下、皇太子妃殿下のご臨席のもとメイン会場となる「織田フィールド」で行われ、各国の車椅子選手が入場しました。

日本人選手団の入場行進や、ストーク・マンデビル病院院長のグットマン博士の挨拶などの様子が記録されています。

競技・種目では全17競技中、15の競技・種目の様子が記録されています。
アーチェリー、ダーチャリー、卓球、フェンシング、重量挙、槍正確投、槍投、砲丸投、円盤投、棍棒投、車椅子競技(50m)、車椅子スラローム(モノクロ映像)、車椅子リレー(モノクロ映像)、水泳、車椅子バスケットボール。

ここでは、その一部を紹介します。

・アーチェリー

上肢、肩、体幹の筋力増強と精神集中に役立つ競技です。1日でおよそ140本以上の矢を打つため、体力と忍耐力が必要となります。アーチェリーは距離によってラウンドが分かれており、映画に映っているのは90mのFITAラウンドの様子です。この競技で日本人選手は2位に入りました。

・フェンシング

上半身の安定と素早い剣の動きが必要となる競技です。日本人選手は入賞をあきらめていましたが、強豪国を破り見事2位に入りました。

・車椅子スラローム(モノクロ)

車椅子操作と注意力、適応力が鍛えられ、選手たちの日常生活により近い競技となっています。外国の選手は車椅子を上手く乗りこなしており、自分の脚のように操作していました。

・車椅子バスケットボール

時には転倒者が出るほど激しい競技です。日本からは2チーム出場しましたが、外国のチームと比べるとかなりの力の差がありました。屋内と屋外の2つの会場で試合が行われ、映画では屋外会場の試合が記録されています。

・選手の世話をした介添え者

映画の槍投、砲丸投などの投てき競技において、選手たちの車椅子の後ろで車輪をしっかりと押さえているボーイスカウトが映っています。当時は車椅子を固定する装置が無かったため、このように介添え者が固定していたのです。

会場周辺の様子では、車椅子のまま車内に入れるリフト付きバスや、選手たちが利用する食堂に設置したスロープなどが記録されています。

さらに、記録映画のナレーションでは、中村裕博士が実施した外国人選手の実態調査の調査結果の要点と、各競技の概要や種目別区分(障がい別)の紹介、日本人選手と外国人選手の社会環境の差異の分析などが紹介されています。

企画展期間中は、本映像を1階企画展示室と証言映像シアターにて上映しております。