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第278号 2025年2月21日号令和6年度春の企画展を開催します

令和7年3月4日(火)から6月1日(日)まで、春の企画展「綴られた思い―戦争を知らない世代に伝えたい体験と記憶―」を開催します。

展示内容

 本展では、戦傷病者やその妻の記した体験記から、戦中・戦後の労苦を伝えます。一人ひとりの戦中・戦後の労苦に焦点をあて、体験記のほかに関連する実物資料を展示します。

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展示資料

展示Ⅰ.戦傷病者とその妻が記した体験記

 戦傷病者が記した体験記を展示し、一人ひとりの戦中・戦後の労苦を紹介します。体験記のほかに、ご本人の実物資料や写真など寄贈資料も展示します。

展示資料の一例

「思い出の記」

 この直筆用紙は、1942年に空挺要員選抜の身体検査を受けた後の待機中、空爆にあい、右足を負傷した方のものです。将校として戦地に赴任し、戦地で過ごした一年半の体験、受傷しなければどういう運命を辿ったのかに思いを巡らせていたことが記されています。

「青春に白衣」

 この体験記は、1938年に中国での戦闘で左腕と肘を負傷した方のものです。徴兵時の心情、戦地で炎天下の行軍、不衛生な環境の中での軍隊生活で弾丸に当らなくても命を落とす戦友がいたこと、受傷、そしてその後を生きぬいてきたことが記されています。

「ニューギニア戦記」

 この体験記は、1942年にニューギニアのジャングルの中で連合軍の攻撃にあい、右足を負傷した方のものです。戦闘体験と受傷時の詳細が克明に記されているほか、現地の人に親切にしてもらったことや戦友とのエピソードなどもあり、厚さ10センチにもなる大作です。

「乙女戦記」

 この体験記は、1945年の沖縄戦で受傷した当時18歳の少女だった方が記したものです。戦争によって片手を失ってしまい、生きる気力も失せてしまうほど辛く悲しい日々を過ごしてきました。そんな中でも前を向き、懸命に生きようとしたことがうかがえる体験記です。

「シベリア珪肺 ソ連抑留の後遺症」

 この体験記は、1965年にシベリア抑留中の鉱山労働が原因で珪肺を発症してしまった方のものです。闘病生活の中で、同じ病気で苦しむ患者のためにと、療養生活の送り方や恩給請求の手助けとなる情報も多く記しています。

「大事な私の覚え書」

 この体験記は、1939年ノモンハン事件で左眼を失明してしまった方のものです。戦後、世の中が安定していく中で、戦争体験を語ることをおそれず、忘れてはいけない、戦争を知らない世代に伝えなくてはいけないという思いで、体験記を3冊まとめました。


「傷痍の夫と歩んだ五十余年」

 この直筆用紙は、1947年に戦傷病者と結婚した妻の体験記です。夫は1944年に負傷し、戦後も大きな手術を経験していました。夫を支えながら、家族の介護、子育てなど家のことを一手に担っていた妻は、誰かに聞いて欲しかった胸のうちを振り返っています。


「朝ドラゲゲゲの女房を見て」

 この直筆用紙は、1946年に戦傷病者と結婚した妻の体験記です。夫は1945年に右足切断するという大きな障がいを抱えていました。自営業の夫を支えるために、ともに懸命に働き、経済的な苦難も多く経験しました。「ゲゲゲの女房」を観た時に、同じ戦傷病者の妻としての思いを記すために筆をとりました。


展示Ⅱ.団体のまとめた体験記

 ここでは、団体がまとめた体験記を紹介します。
 日本傷痍軍人会や日本傷痍軍人妻の会など、戦傷病者の団体が、自分たちの体験を伝えようと会員に呼び掛けてまとめられた体験記も多くあります。個人でまとめた体験記よりも文章は短いも傾向にありますが、特に残しておきたかった体験と思いが記されています。
 これらの体験記を、しょうけい館で読む方法も合わせて紹介します。




 戦傷病者とそのご家族が遺してくれた体験記を、私たちが読み、知り、そして次の世代へとつないでいくことの大切さについて考えてみませんか。

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