S15-1感謝の心、妻にしたためて(22分47秒)
戦傷病者の妻の語り。昭和15年4月、証言者の夫は中国浙江省で頭部に銃弾を受ける。初年兵に自分の鉄兜を貸した、その瞬間の出来事であった。内地還送後、東京で療養中に看護婦をしていた証言者と出会い、故郷の新潟で結婚する。そしてこの間、妻や子ども達の支えのもとで高校の講師を務め、会社の経営にあたる。しかし、左半身の麻痺と度々起きるてんかんの発作に苦しめられた。後年、遺品より見出された書面は妻あての遺言であり、そこには深い感謝の念がしたためられていた。
S15-2戦友への想い、詩文に託して(19分15秒)
昭和20年8月17日、証言者は所属部隊全員による自爆により、火傷と全身打撲の重傷を負い、臨死体験もした。朝鮮北部、ソ連に備えての堅固な陣地でのことだった。奇跡的に命をとりとめ、21年10月にようやく内地還送となるも、顔には火傷の跡が残り、耳や足にも障害が残った。その後、商人となる夢は諦めたが内勤のできる役場に勤めることとなった。しかし、ともに自爆し、亡くなった戦友のことは一日たりとも忘れたことは無く、尽きぬ想いを自作の詩文に託す。
S15-3意志あるところ道あり(19分29秒)
昭和17年3月、軽装甲車の操縦士として戦場に出た証言者は、敵弾により顔面に受傷し、左眼の失明に至る。ジャワ島での敵前上陸作戦時のことだった。内地還送後、療養を続け、戦後は永らく役場勤務を続ける。常に前向きの心を持って生きてきた証言者は、郷土への恩返しのため、献血運動の促進やボランティア活動など、様々な社会貢献を果たして今に至る。挑戦することは喜びであると語る。
S15-4失意の時に届いた一通の手紙(16分57秒)
戦傷病者の妻の語り。昭和14年9月、証言者の夫は中国湖南省の戦場で右腕に銃弾を受ける。その一週間後、野戦病院へ運び込まれた。しかし、既に患部はガス壊疽(えそ)に蝕まれており、切断を余儀なくされた。内地還送後、師範学校に在学中の恩師(校長)から一通の手紙を受け取る。そこには傷痍の克服を祈る励ましの言葉が記されていた。この手紙に一筋の光明を見出し、その後は左手で字を書くことに精励する。