S40-1癒されない心 「死んだほうがまし」と思った青春(14分08秒)
昭和16年駆逐艦「皐月」に乗船。昭和19年、マニラ湾でグラマンの機銃を受け顔面負傷。左胸からソーセージ状に肉片を作成して首、顎へ順次移植。全て部分麻酔のため長期間痛みを伴った。終戦後に一年かけて再手術を受け、欠損した鼻に左脚の脛から骨を、額から肉を移植するも整形に失敗。人に見られないようにマスクをするも、年頃の人に笑われた。戦死したほうがましだという思いさえあったが、周囲の人々の助けで今は充実している。
S40-2誰にも言わなかった左眼失明(15分09秒)
昭和18年に中学卒業後、陸軍運輸部暁6140部隊修理部として小発の整備をした。エンジン据付作業中、鉄片が左眼に刺さり失明。昭和20年8月6日、原爆を体験。戦後はでんぷん工場などに勤務。片目では距離感が掴めないことから運転免許が取れず、仕事の選択肢は多くなかった。外からはわからない苦労が多かったが、失明のことは誰にも言わず、誠実に働いた。