S41-1職業軍人を目指した父がみた現実(15分38秒)
農家の末っ子として生まれ、職業軍人を目指した。昭和14年満州に出征し、騎兵として戦車隊に配属。右胸湿性胸膜炎を発症し内地還送。また従軍中、右膝を負傷した。足の自由が利かないため仕事の選択肢は少なく、経理係やタクシーの無線配車係として働いた。晩年は、生きている者を置きざりにしなければならない戦地の非情さを振り返る。入院先では戦傷病者ゆえのいわれなき偏見を投げかけられ、悔しい思いをした。
S41-2家族で乗り越えた差別(13分48秒)
昭和20年、ニューブリテン島で右腕に弾を受け、肩下からの切断を余儀なくされた。晩年まで雑貨商を営んだが、片腕であること、素人商いであることで苦労。小児がんで片目を摘出した息子とともに世間の偏見にさらされたが、泣き言も弱音も吐かず、努力し続けた。遺言で献体を決め、それが「人間としてできる、最後の務めだ」と書き残した。
S41-3近衛兵の誇りで乗り越えた労苦(17分08秒)
昭和17年、近衛歩兵第五連隊に所属していた覚蔵さんは、自転車部隊として南進しシンガポール攻略戦に参加、右脚膝を負傷。ガス壊疽をおこした右脚を切断、義足を装着した。雪深い冬場は分教場の助教として熱心に子供たちを教え、「鉄脚先生」と地元の新聞にも紹介された。戦後は家業の農業に専念。近衛兵としての誇りが、「隻脚、一本足の再起更生」を図る覚蔵さんを支えた。