S5-1父のまなざし(14分27秒)
傷痍軍人を父に持つ娘の語り。昭和14年4月、中国山西省での戦闘で父は負傷。顔面に手榴弾の破片を受け、両眼失明だった。復員後、妻の助けを得て故郷で農業を営む。その父が自らの心根を語ったのは娘の結婚式の日だった。「三人の子ども達の顔がやはり一度は見たかった」と。そのとき、周囲は沈黙に包まれたという。
S5-2支えられた歩み(14分52秒)
昭和20年3月、ソ満国境警備の任にあった証言者は、暗夜の輸送作業中に列車事故に遭遇。両足切断の重傷を負う。満洲の陸軍病院で終戦を迎え、ソ連軍に抑留されるも重傷ゆえに解放。翌21年8月の復員後、父親の助言で修理技術を習得し、後に郷里に時計店を開業する。この自らの生きる道の発見とは別に、身障者の自立更生にも心を砕き、活動にあたってはステッキを片手に奔走する。時を重ね、ステッキを松葉杖に持ち替えたが、その歩みには今も変わりはない。
S5-3遙かなる故郷 (13分47秒)
昭和19年2月の入隊後、ソ満国境地帯の警備につく。20年8月13日に至り、ソ連軍との激戦のなか銃撃により左手首を負傷。それでも本隊との合流を目指し山野を進む。 しかし9月3日、ソ連軍に抑留されシベリアへ。収容所では、厳しい強制労働のもと多くの戦友の死に直面したという。21年12月、復員。その後は出征前と同じく炭鉱で働いた。
S5-4平和の光を見つめて(13分46秒)
弱冠16歳で志願の入隊を果たした少年は昭和20年1月、満洲へと出征する。その後、実戦を経験することなく終戦。そして翌21年1月、中国の金州での強制労働中の事故により、右眼の視力を失う。復員後、その苦悩を察した父親の紹介で就職。そこに、障害を克服して生きる道を見出す。そして現在、平和の語りべとして生きる姿がここにある。
S5-5赤レンガのぬくもり(13分03秒)
臨時召集により出征した中国山西省で、機関銃弾を利き腕に受ける。昭和16年4月のこと。内地還送後の神経手術も実らず、これもまた運命と、左手一本で生きる道を悟る。そして、念願の職場復帰。しかし、自らの夢の実現とは別に障害者への思いがあった。戦後、自らの意思でリハビリ施設に職場を転じ、退職まで障害者の社会復帰に尽力する。