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令和3年度春の企画展 残された言葉や声をたずねて

1. 戦地での思い Episode-1 Image

中国での戦闘中、右側頭部に傷を負う

Aさんは、昭和15(1940)年、中国での戦闘中に右側頭部に敵の銃弾がかすめました。当時の出来事を奥さんが次のように語っています。「銃撃を受けた瞬間、傷口に手を当てたところ指が患部に入っていき、意識不明となった。」生死の境をさまよい、21日間意識不明でしたが、奇跡的に一命をとりとめました。しかし、左半身麻痺とてんかんという重い後遺症を負うこととなりました。


日常生活の労苦

その後、日本へ還送され東京の病院で治療を受けた後、新潟県の実家に戻ります。病状は一向に回復せず、特にてんかんの発作が起こった時は意識を失ってしまうため、家族全員で一晩中世話をしました。


けが以外による戦争の被害

昭和39(1964)年頃から、左半身麻痺とてんかん以外にも肝臓の障害を負うこととなります。戦時中、X線検査で使われたトロトラストという造影剤には放射性物質が含まれていたため、体を内側から蝕まれました。この頃から1年のうち半年くらい入院するほどまでに病状が悪化し、亡くなるまで肝臓の病気に苦しめられました。


出展資料:『水木しげるのんのん人生』

出展資料:軍帽

銃弾の痕が残っている軍帽。部下が鉄兜を持っていなかったため、自身の鉄兜を渡した。その直後に被弾した。