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令和3年度春の企画展 残された言葉や声をたずねて

2. 戦後の労苦 Episode-8 Image

捕虜収容所でハンセン病を発症

Hさんは、昭和19(1944)年のニューギニア戦線でオーストラリア軍の捕虜となり、カウラ収容所へ移送されました。捕虜生活中に体調不良を起こして診察を受けた結果、ハンセン病と診断され、隔離生活を余儀なくされました。


帰国時の心境とハンセン病患者の扱い

戦後、日本へ戻ることとなりますが、捕虜になることは屈辱的なことであるという考え方が一般的であったため、帰国したら殺されると思い、その心境は複雑でした。さらに、帰国する船でも甲板に隔離されるなど、人間扱いされませんでした。


偽名を使い、半生を送る

復員後、隔離されたまま国立病院へ搬送された後、静岡県の国立駿河療養所に入所しました。ところが、無らい県運動によってHさんと出身地が同じ患者が、駿河療養所に入所します。この時、自分のことが知られて故郷の家族に迷惑をかけてはいけないと考え、本名を捨て、入所先も遠く離れた離島へ移るという一大決心をしました。この時の決心が映像と書籍に残されています。「偽名は光明園に来てから使いました。」その後、岡山県の国立療養所邑久光明園おくこうみょうえんへ入所します。以来、寂しさや怒りなどさまざまな葛藤を抱えながらも邑久光明園で生涯を送りました。


出展資料:トランク

出展資料:トランク

カウラ収容所でお世話になった人や声を掛けてくれた人に作ったトランク。トランクは好評で、皆が喜んでくれるのが嬉しかったという。12個作成したトランクのうち11個は分け与え、残りのひとつがこのトランクである。