空襲を受け、右腕と右足を負傷
Jさんは、昭和19(1944)年、兵員輸送の任務中に空襲にあい、右腕と右足を負傷します。その後運よく陸軍病院で治療を行うことができ、命は助かりましたが、右腕は元のようには動かなくなってしまいました。
左腕一本で絵を描く
戦後、塗装業の傍ら、船舶の絵を描き始めました。左腕一本で描いた絵とは思えないほどの出来栄えが評判となり、プラモデルの箱絵や、雑誌の表紙を飾るなど画家として独り立ちしました。
絵を描くという使命
戦争では、助かったというよりも生きて何かしなければならないという気持ちの方が強く、戦死した多くの戦友の魂を慰めるとともに、思い出を書きとどめることが使命であると感じ、生涯を通して船舶の絵を描き続けました。「戦争から帰ってきて、左手で描き始めた。目に見えない何かに左手を動かされている。これは使命だ。」
出展資料:絵画「輸送船 金華丸」
受傷した時の様子を描いた絵画。3日間にわたる大空襲を受け、被弾した飛行機が船に落ちて大爆発となり、味方の大半が即死。Jさんも右腕と足を受傷した。 この絵の船首にはJさんが描かれており、海に飛び込んで手前のいかだに助けられた。