戦闘により受傷し、左脚を切断
Gさんは、昭和 16(1941)年 、中国湖南省での戦闘中に銃弾が右脚をかすって、左脚を貫通しました。野戦病院へ搬送され、左脚を根元から切断する手術を受けました。
帰国後、厳しいリハビリを受ける
日本へ還送後、陸軍病院で厳しい歩行訓練を受ました。この病院では足を切断した患者が生活を送っていたため、同じ境遇である者同士心が通い合い、屈託なく過ごしてきました。
切断した脚に激痛が走る日々
終戦を機に企業を退職し、実家の農業を継ぎました。この頃から、切断した脚の激痛に悩まされるようになります。一度痛み出すと七転八倒、この世の地獄という程の苦しみで、気を紛らわすためにお酒を飲んで暴れる日々が続きました。当時の痛みを次のように語っています。「どうして弾が当たった時に死ななかったのか。この世は地獄だ。」脚の痛みから解放されたのは、効果のある鎮痛剤が手に入った時でした。この時、受傷から60年近くが経過していました。
出展資料:義足
田畑に入る時に使用していた義足。付属のベルトを右肩に回して固定していた。