S45-116歳で右手を失って(15分16秒)

14歳で普通海員養成所に入所。3ヶ月の訓練で輸送船「黄海丸」の乗組員となり、南方への物資輸送に携わる。昭和19年、ラバウル近海を航行中に敵機の攻撃により撃沈。生き残った仲間と1ヶ月以上島々をさまよった末、何とか辿り着いた海軍病院内で空襲により右手を失う。利き手を失いながらも、戦後は夫婦で協力しながら印刷業を営み、その技術で評判となった。「手がないと思っていない。ただ短いだけ」と話す前向きさが自身を支えてきた。

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