「シンボル展示」の5点を右手に展開する第二のゾーンが「戦場での受傷病と治療」です。ここは四つのコーナーに分けられます。はじめに「戦地での生活」、そして「受傷」「救護・収容」「戦地での医療」と続きます。各コーナー、いずれも実物資料と寄せられた証言をもって、その内容を伝えます。

 

最初に「戦地での生活」。ここでは、戦地へ赴いた兵士の日常を伝えます。まずは戦場での日々を克明に記した小型手帳。その日、手帳の持ち主は飛来した砲弾により、多くの戦友を失いました。「我々は思わずもらい泣きした」との記述が、その折の心境を伝えています。次に軍事郵便。幼子にあてたカタカナの手紙、結婚11日目にして出征した夫の思いが込められた妻への一葉、さらには田植え時期の両親を気遣う一葉。いずれも、兵士の留守宅を案じる思いが濃密に凝縮されています。

そして、とりわけ前線の兵士を喜ばせたという慰問袋や日用品としての飯盒と椰子の実製水筒。この水筒は、南方での生活の一端を語っています。また、給水袋と給餌袋。これは、戦地では軍馬が欠かせない存在であったこと、兵士と苦楽を共にしたことを物語っています。



戦地での生活(軍事郵便)

次に「受傷」。ここでは、戦場にあって兵士が受けた傷や病の諸相を伝えます。まずは日章旗と千人針。時を経て赤褐色に変じたものの、かつて鮮血に染まっていたそれらは、欠乏する医療物資の代替品でした。次に摘出弾の数々。このひしゃげた金属片は、想像を絶する苦痛をもたらしました。加えて、腕時計。その停止時刻が、すなわち受傷の瞬間でした。

一方、戦場にあって深刻だったのは「病」も同様でした。そのひとつがマラリアです。もとより、高熱に由来するその苦しみは一片の事実証明書で語り尽くせるものではありません。なお、当番兵からの葉書(軍事郵便)には、受傷後の上官の様態が詳細に記されています。

続いて「救護・収容」。ここでは、受傷直後の初期治療の諸相を伝えます。まずは手製の止血器具や負傷兵につけられた傷票(荷札の形状)。そしてビルマの野戦病院を描写した元隊付衛生兵の回想スケッチや、当時の兵士の日記。スケッチは、往時の野戦病院の実態を知る貴重な手がかりとなります。また日記には、胸部に銃弾を受けた際の救護・収容状況が、不安な心境とともに記されています。



「受傷」(上)・「救護・収容」(下)

さらに、個々にガラスケース内に配置された5点の資料が、傷を受けたその瞬間を象徴的に伝えます。これが「シンボル展示」です。軍帽、眼鏡、煙草入れ、鞄、軍長靴、それぞれを貫通した弾痕が、受傷の痛みと苦しみを見るものに訴えかけます。



「受傷~シンボル展示~」

「戦地での医療」は次号(第4号)において紹介いたします。

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2006年