命を繋ぐ天水として
連想ゲームではないが、椰子の実とくれば、頭に五線譜が浮かび、最初に思い出すのは、島崎藤村の作詞「椰子の実」のメロディーである。例の「♪名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ~」である。民俗学者の柳田国男が明治31年の夏に伊良湖岬(愛知県)の恋路ヶ浜に遊び、そこで偶然に椰子の実を見つけ、それを親友の島崎藤村に話したのが、名曲誕生のエピソードである。
もうひとつ、椰子の実のリアルな話を披露しよう。しょうけい館に展示されているのは、椰子の実の中身をくり抜いて作った紐付きの水筒で(写真)、栓は、トウモロコシの芯で出来ている。軽くて保水性が高く、持ち歩くのに便利であったろう。
使用された舞台は、東南アジアの中でもオーストラリアのすぐ北側に位置するティモール島である。この南の楽園でも、先の大戦で日本軍は苦戦を強いられ、兵士は東ティモールのジャングルを当てもなく徘徊したのではないかと容易に想像される。
少し、筆者の感情移入をすれば、昭和19年頃、ティーモル島で使用したという水筒の持ち主(沖縄県・比屋根和宏氏)は、己の喉を潤し、傷ついた戦友の命を繋いだ天水でもあったろう、と考える。
(話題創り研究所所長/小暮進)