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「傷痍の夫と歩んだ五十余年」

 この体験記を残した方は、1947(昭和22)年に戦傷病者と結婚しました。夫は1944(昭和19)年2月、乗艦していた駆逐艦「海風」が米潜水艦の攻撃を受け、トラック島(現ミクロネシア連邦チューク諸島)で水中爆発したために、腹部に大けがを負ってしまいました。何度も開腹手術を受け、一時は生死の境をさまよったこともありました。
 戦後、二人は、青年団の活動で知り合い結婚しました。母親は「男の人はいくらでもいるから」と、戦傷病者との結婚には反対でした。しかし、彼女は、頼りがいのある彼に思いを寄せていて、一緒に農業の仕事を頑張るんだという強い心持ちでいたそうです。
 しかし、結婚生活は、彼女の想像以上の困難が待ち受けていました。結婚早々に、夫は農業組合の役員に選出されたため、農業は彼女が一手に引き受けることになりました。また、夫の十数年に渡る闘病生活と大きな手術のため、家族の介護、子育て、それら全てを妻である彼女が一人でこなしていた時期もありました。

 この人とならば、百姓仕事でも出来ると思って嫁いできたのに、周囲の思惑で私は野良に独りぼっちで置き去りにされたのです。毎日が淋しく、悲しく、蜜柑の木で涙を流しました。この涙は誰にも見せることなく頑張り続けたのです。

 今、私が主人との話をするのに、両親の事を素通りにしての話はできません。話させて下さい。聞いてくださいませ。

 夫も体験記を記しています。そこからは、夫婦それぞれに残したい記憶や思いが違うことにも気付かされます。

「朝ドラ ゲゲゲの女房をみて」

 この体験記を残した方は、1946(昭和21)年に戦傷病者と結婚しました。夫は、1945(昭和20)5月に国内で受傷し、右足は義足でした。
 結婚当初、夫は建設会社の事務担当として働いていましたが、戦時中に閉鎖された父親の製材所を継ぎたいと考え、会社を退職し、再び一から製材所を始めました。資金調達、資金繰り、製材仕事など、彼女は懸命に働く夫を支え続けました。体験記からは、経済的な苦労が心身の苦労につながっていったことがよく分かります。

私共の結婚当時は全く無一文からの出発でした。
(中略)
遮二無二の頑張りでした。夏が近づくと履いている義足の先端が汗で赤ムクレになってくるのです。「ガーゼ」をバンソウコウで押え乍ら涙ぐましい状態でした。又断端袋(※)も沢山手に入るものでは有りません。汗と血のついたものを洗濯しては先が破れるので順番に切りつめては使えなくなる迄使いました。

断端袋:切断面を保護するために履く靴下のようなもの。

 体験記のタイトルである「ゲゲゲの女房」は、NHK連続テレビ小説で2010年に放映されたドラマです。武良茂(水木しげる)さんとお見合いをした布枝さんの歩んだ道のりを、妻の目線で描いた作品です。原作は、布枝さんの『ゲゲゲの女房 人生は・・・終わりよければ、すべてよし!』(2008年)です。このドラマを見て、自分の苦労が重なるように思えたと彼女は記しています。
 夫が亡くなったあと、部屋の片付けをしていると、夫の書いた一枚の紙がありました。そこには妻には直接言えなかった感謝の言葉が記されていました。

結婚以来五十三年ずいぶんお世話になったものだ。
悲しい思いをさせた。苦労もかけた。つらい思いもさせた。
何も言ずついて来て事(ママ)を感謝する。

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