Case1
この装飾用義手は、事務職だった方のものです。
この方は、軍隊へ入る前は、養育院(※)で事務の仕事をしていました。
腕を失ったのは、1943(昭和18)年7月、中国での任務中、トラックが地雷を踏み右腕を負傷しました。中国の病院で手の切断手術を受けた時、自分の身体の一部が無くなってしまう何とも言えない寂しさを感じたと言います。
日本に戻り、陸軍の病院で義手を作ってもらった時は、なかなか腕に義手がなじまなかったそうですが、左手で字を書く練習などをして、退院。養育院に復職しました。
この方は右腕の付け根から腕を切断しているので、義手を使って作業をしたり、字を書いたりすることはできません。「義足の人は義足に全体重がかかるから、訓練も大変だろうけど、僕は腕から先がないから、力強い作業はできない。けれども、作業用義手があれば、自転車に乗ることもできたので、頼りになる」と語っています。また、歩行のバランスを取るためにも、義手は必要なものでした。
義手の名称や分類はさまざまありますが、ここでは戦傷病者が使用していた義手を機能別に紹介しています。
Case2
この作業用義手は、洋裁仕立師だった方のものです。
この方は、1937(昭和12)年11月に中国で受傷し、右手(前腕)を切断しました。1939(昭和14)年に除隊(退院)しますが、手がなければ仕事ができない、これからどんな仕事ができだろうかと、就職に対して自信が持てなかったそうです。
戦時中は、傷痍軍人の職業訓練や就職斡旋(あっせん)を国が支援していたので、県庁の人から勧められて、住んでいた鹿児島から福岡の小倉の傷痍軍人職業補導所へ入所しました。洋服科に入り、洋服仕立てに必要な道具の名前を覚えることから始まり、針の目に糸を通す、縫うといった作業を訓練しました。利き手の右手が義手だったので、思うようにいかない作業が多かったそうですが、洋服仕立て専用の義手も新たに作ってもらい、技術を身に付けて補導所を卒業しました。
その後、1941(昭和16)年1月から小倉の洋服店で働き、その後鹿児島へ帰郷して、自営の洋服仕立業を営みました。1952(昭和27)年に身体障害者雇用促進のため、役場で働かないかと勧められ、税務課に勤めました。「針をペンとそろばんに持ち替えて」、60歳まで務め、その後は行政書士の資格をとって働きました。
Case3
この装飾用義手は、会社員だった方のものです。
この方は、1945(昭和20)年6月、24歳の時に、千島列島占守島で投下された爆弾により左手と両太ももに大怪我を負いました。戦地では、麻酔なしで左手(前腕)の切断手術を受けたそうです。
戦後は東洋紡績(現東洋紡)に就職し、義手で仕事をこなしました。
夫はプラスチック関係の製造工場で働いていました。
義手は仕事をする時と、結婚式の時にしていました。
私は結婚する時、義手のことは気にしていませんでした。
真面目で、気が利いて、細かいこともよく気付く人で、料理も、子育てもしてくれた人でした。
(妻の証言より)
Case4
この能動義手は、電気工事士だった方のものです。
この方が能動義手を仕事に用いたきっかけは、偶然『我等生涯の最良の年』というアメリカ映画を観たことでした。
映画を見るまでは作業用義手を使用していましたが、電気工事士の仕事は、設備点検の時にモノを掴んだり、電気メーターの記録を書き留める時にバインダーを持ったり、変電所のはしごを登ったりるす時など、作業用義手では不便な動作が沢山ありました。映画を見て、自分の仕事には能動義手が必要だと思い、さっそく作ってもらったそうです。
その後は、さらに努力を重ね、電気技師の資格を取るためにこの義手での訓練を続けました。電線を剥いで碍子にボルトを通す作業、電線の結線作業など、技能試験では細かく容易でない作業がありましたが、努力の末に資格を取ることができました。
一方で、能動義手は肩や腕の力を使って動かすため、身体に大きな負担がかかっていました。定年退職を迎えたとき、「この義手をもう使わなくていいんだ」という解放感があったそうです。相棒であった義手ですが、この言葉からは能動義手を使って仕事をすることがいかに大変なことだったのかをうかがい知ることができます。
アメリカの傷痍軍人 ハロルド・ラッセル氏と能動義手
ハロルド・ラッセル(Harold John Russell)氏は、第二次世界大戦中、アメリカ陸軍に所属、事故により両手を失いました。
ラッセル氏は退役後、1946年制作の映画『我等生涯の最良の年』(原題:The BEST Years of Our Lives)のホーマー役として起用され、能動義手を使用する傷痍軍人を演じています。ペンで文字を書いたり、ワイングラスを持ったりと、ラッセル氏演じるホーマーは、能動義手を巧みに使いこなしています。この映画を観た日本の戦傷病者の中には、「この義手を使いたい」と思った方も少なくなかったのではないでしょうか。
ラッセル氏の能動義手は、記録ドキュメンタリー「Diary of a Sergeant, 1945」(米国公文書館)でも見ることができます。この映像では、能動義手で可能な動作を紹介するだけでなく、ラッセル氏の心の内もうかがうことができます。