当館では以前、「しょうけい館通信 小径(こみち)」で「三角包帯の歴史1」と題し、三角巾について以下のように紹介しました。
我が国におけるルーツは、明治のはじめに陸軍の石黒忠悳(ただのり)一等軍医正(中佐相当官)が、横浜のハルトリー商会から輸入した医療品の一つだと思われます。
その後、最近の研究で三角巾の使用法は、幕末維新期にはすでに知られていたことがわかりました(淺川道夫「翻訳遺書からみた幕末の軍陣医学」『軍事史学』第49巻第4号(通巻196号))。
これによりますと、鳥羽藩出身の蘭学者近藤誠一郎は、オランダの「少年海軍士官必携」の中の「外科術ノ篇」を抄訳し、慶応4(1868)年に『士官心得外療一班』を出版しました。この中に三角巾の使用法が示されています。
怪我人を歩行させるには、…風呂しきなどの如き四角なる布を向ふ合せに隅を取りて二つにたゝみ。折り目のある方の中央に手の先をかけ三角なる角を肘の方にし両端を肩にかけ。えりもとにて結び合セ。
とあり、三角巾の使用をしていた記載があったことが確認されています。三角巾の使用が、オランダの救急医書に記されていたことから、救急医療も明治以前に海外で使用されていたことが判明しました。改めて救急医療が、時代的にも遡っていたことになります。