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敵からの攻撃にさらされながら戦地から内地の病院へ。
しかし、その身体は元のものではありませんでした。
国からの医療、生活支援のもと、社会復帰のための日々がはじまりました。

04-01.搬送ー戦場から後方へー

重症の兵士は戦場から離れた兵站病院に搬送されました。
しかし、そこも敵の攻撃を受けて、閉鎖や撤退を強いられ、安全な場所ではなくなっていきました。

前線からの後送

 長期の治療を要する患者や重傷患者は、野戦病院から後方に設置された兵站病院に搬送されました。兵站病院には専門医が配置され、本格的な治療が行われました。海軍の場合、洋上では速やかに後送できないため、戦闘終了後に海軍病院のある近くの港に寄港して特設海軍病院へ患者を収容し、治療を行いました。

《戦場スケッチ画》
1944(昭和19)年
ゾウを使って重傷者を搬送している時の様子を描いたもの。

04-02.病院船ー戦地から日本へー

商船を改装した病院船で航空機や潜水艦の攻撃にさらされながら内地へ。
病院船の中は傷病兵であふれていました。

病院船

 兵站病院や海軍病院で長期の治療を要すると診断された患者や重傷者は、病院船で内地の陸海軍病院に還送されました。病院船は戦地へ医薬品、治療器具などの輸送を行ない、戦地からは傷病兵を内地へ運ぶ役割を担っていました。戦域の拡大に伴い航海距離が延び、加えて戦況の悪化により航行の危険は増大しました。

《船内模型》

04-03.戦時下の療養生活ーリハビリと訓練の日々ー

陸海軍病院での治療と厳しいリハビリ、義肢に慣れ、働くための訓練。
自立した生活を取り戻すための日々がはじまりました。

日本での治療・療養

 病院船で内地に還送された傷病兵は、傷病の程度や特殊性を診断され、それぞれに適応する陸海軍病院へ移送されました。除役になっても、機能回復訓練や長期療養を必要とする者は、傷兵保護院(軍事保護院)の施設に入り療養や訓練を続けました。

傷痍軍人療養所

 傷痍軍人の医療保護事業として、1938(昭和13)年12 月に最初の傷痍軍人療養所が開設されました。以後、結核患者を対象とした療養所、機能回復・マッサージのための温泉療養所などが設けられました。

《義足》

04-04.退院後の社会復帰ー国や地域に支えられながらー

就職、結婚、養わなければならない家族。
変わってしまった身体に不安を抱えながらも、兵士たちは退院していきました。
傷痍軍人となった彼らを国や地域が支えました。

「傷痍軍人」に対する援護政策

 戦傷病のため軍務への復帰が困難な者は、一種以上の兵役免除または召集を解除されました。退院した傷痍軍人に対し国は、職業指導や職業再教育などの社会復帰対策をはじめ、子女の教育の助成や相談所の設置、軍人傷痍記章の授与など物心両面にわたる保護を実施・拡充していました。

《ポスター》
《軍人傷痍記章(戦傷)》
1941(昭和16)年1 月19日
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