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 今回は当館で収蔵している戦傷病者よりご寄贈頂いた資料を紹介いたします。今回ご紹介するのは青森県の戦傷病者が、結核療養所での療養中に描いた絵画です。
 この方は、1944(昭和19)年6月に召集を受けて満州へ出征しましたが、到着して翌日の検査で結核に感染している事が判明し、そのまま現地で入院生活を送る事になりました。
 結核は、「結核菌」に感染することにより、臓器が冒される病です。主に肺が病巣となることが多く、咳、痰(たん)、喀血(かっけつ)、発熱、呼吸困難などの症状が出ます。戦前は有効な治療薬がなく「不治の病」とされ、日本人の死因の第一位が結核であった時期もありました。また、軍隊では集団生活を送っていることもあって蔓延(まんえん)しやすく、戦地で発生する病としては最も多く見られるものの一つでもありました。
 この方も悪化こそしなかったものの入院生活で治ることはなく日本へ帰され、1945(昭和20)年1月地元青森の「傷痍軍人青森療養所」で療養することになりました。療養といっても有効な治療法に乏しい当時は、安静にして、栄養を取り、空気が綺麗な場所で過ごすという自然療法が基本で、体力の衰えた人から次々に亡くなっていくような状況でした。この方も時々遺体を霊安室へ運ぶ役目を頼まれていたそうです。
 この方は比較的症状が良好だったので、作業療法の畑仕事や防空壕造りを通して体力作りに励み、終戦後の1946(昭和21)年5月に退所することができました。以下の絵画はその療養生活中に、病室や建物など療養所の様子を描いたものです。



「傷痍軍人青森療養所俯瞰図」


病室


玄関


雪の道

 しょうけい館では2022(令和4)年12月27日まで、定期上映会「戦傷病者の証言~結核編~」として結核に苦しめられてきた戦傷病者の証言映像を上映しており、合わせて関連する資料も展示しております。今回ご紹介した資料の内、病室を描いた絵画の実物も展示しておりますので、ぜひご覧頂ければ幸いです。

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2022年