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館だより
 
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第219号 2020年1月5日号

新年のご挨拶

 

 新年あけましておめでとうございます。
 皆様におかれましては、お健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
 本年もよろしくお願い申し上げます。

 今年2020年は、東京で第2回目となるオリンピック・パラリンピックが開催されます。
 1964年に開催された第1回東京パラリンピックには、53名の日本選手が参加、その中には2名の戦傷病者の方が含まれておりました。その一人である青野繁夫さんは、選手代表として選手宣誓の大役を果たすとともに、車椅子フェンシング団体と水泳で2つの銀メダルを獲得しました。
 先の大戦で受傷し両足に障害を負った青野さんは、箱根にあった脊髄損傷者の療養所(現国立病院機構箱根病院)で療養生活を送っていました。当時43歳と他の選手に比べ高齢でありましたが、猛練習の末にパラリンピック選手に選ばれた青野さんが、大会を経験して感じたことを文章にまとめています。 以下に、その一部をご紹介します。

「愛と栄光の祭典たるパラリンピックの宣誓者の選を得て私は思い切り胸を張り
  宣誓 私達は
  重度の障害を克服し
  精神及び身体を錬磨して
  愛と栄光の旗のもと
  限りない前進を期して
  正々堂々と闘う事を誓います
 と秋空に向って右手を高々と差し上げたのである。

 私は健全ならざる身体にも立派に健全な精神が宿る事を実証したい気持で一杯であった。
 年令において柄にもなくといささか考えて出場したのであるが、外国の選手ことにドイツ、イギリス、 イタリアの中に多くの傷痍軍人が名をつらねて居て通訳を交え楽しく交歓出来たのは幸いであった。
 お互いに傷ついた者同志の集いは楽しかった。そこには政治はなく、肩をたたきあい又、この次の日など将来を祝福して居る姿に私達だけか知る涙を禁じ得ないのも又懐かしい思い出である。
 私達は軽い世間の同情を求めるものではない。大地に2本の足をかまえなくとも立派に足のかわりの車椅子がある。私達はより国につくした誇りを持ち自らをより一層強く持して今後に期待し、人間としてこの与えられた使命を果す如く努力したいと、この大会に参加して、心に固く期した次第である。」
『日傷月刊』(日本傷痍軍人会機関紙)1964年12月1日号
 「パラリンピックに参加して」 箱根療養所 青野繁夫 寄稿文より抜粋

しょうけい館では、今年3月から「スポーツに取り組んだ戦傷病者たち」をテーマに企画展を開催します。その中で青野さんのパラリンピックでの活躍など紹介していく予定です。

今年も皆様のご来館をお待ちしております。

<しょうけい館 職員一同>