皆さんは「戦傷病者」という言葉をご存知ですか。先の大戦で傷つき、病に倒れた多くの人々がいます。これらの人々を戦傷病者といいます。戦傷病者の皆さんが戦地で、病院で、療養生活で、そして社会復帰後の長い人生で体験した様々な労苦は筆舌に尽くし難く、また、受けた傷と病は容易に癒されるものではありません。傷と病は、物心両面にわたって今日まで、戦傷病者本人のみならず家族にも労苦を強いることになりました。
戦後60余年という時を隔て、平和な日本に生きる我々には戦傷病者の労苦を知る機会が少なく、戦傷病者に対する理解は充分とはいえません。しょうけい館では、これまでに証言映像「戦傷病者の労苦を語り継ぐ」32作品を上映して参りましたが、新たに17作品が加わります。上映に先立ち、順次、作品の紹介をして参ります。
「赤レンガのぬくもり」(13分03秒)
昭和14年、証言者は臨時召集により中国へ出征。山西省各地を転戦中、機関銃弾により、利き腕の自由を失います。日本に還送され、5度に及ぶ神経の手術を受けますが、容態が好転することはありませんでした。しかし、職場復帰を強く願い、左手で仕事ができるよう必死の努力を続けた証言者は、5年振りにかつての職場・北海道庁へ戻ることができました。そして、夢を叶えた証言者は、障害者の更生援護施設が各地に設けられたのを機に、昭和30年、リハビリセンターへ異動、退職まで障害者の社会復帰に尽力しました。「戦争っていうのは人間を殺すことですね。なぜそういうことをしなくてはいけないのか、人間として残念でなりませんよ。」が証言者の結びの言葉です。
「支えられた歩み」(14分52秒)
昭和19年、証言者は満洲へ出征。ソ満国境の警備の任にあった翌年3月、炭鉱での輸送作業に動員された際、列車事故により歩行の自由を失います。それは闇夜のもとでの緊急作業、疲労、そして無警笛の貨車という不運の連鎖が招いた事故でした。両足切断という事実は、21歳の若者をして絶望の淵へと追いやりますが、傷の回復とともに生き抜く気力を取り戻します。やがて満洲の陸軍病院で終戦を迎え、ソ連軍に拘束されますが、重傷ゆえに解放され、昭和21年8月、復員し帰郷します。その後、父の助言により、時計修理の技術を身につけ時計店を開業した証言者は、地域の障害者の自立更生にも心を砕き、ステッキを手に奔走します。「ボランティア精神」と証言者は表現しますが、支えあって生きることの大切さを知り実践した証言者の生き方が伝わってきます。そして、時を重ねてステッキから松葉杖に持ち替えたけれど、いまも証言者の歩みに変わりはありません。
(次号に続く)