戦地または事変地における公務中の負傷、勤務中にかかった疾病(戦傷を除く)を戦病と呼びます。
 戦病には、結核、マラリア、赤痢、コレラ、デング熱、熱帯性潰瘍かいよう、脚気、腸チフス、暍病えつびょう(日射病と熱射病の総称)などがあります。特に中国東北部方面では結核が、南方ではマラリアが猛威をふるっていました。
 このような感染症は、栄養失調、免疫力の低下でかかりやすく、過酷な行軍や戦闘で疲弊した上に十分な食料のない状況で感染率を上げていきました。また、心身の不調から、精神疾患を患うこともありました。

地域別戦病発生状況
(『大東亜戦争陸軍衛生史』より)

マラリア

マラリアは、マラリア原虫という寄生性の原生生物がヒトの体内に入り発症する感染症です。熱帯熱マラリア原虫、三日熱マラリア原虫、四日熱マラリア原虫ほかの種類があります。発熱、頭痛、悪寒などの症状が見られ、重症化すると脳症、腎症、肺水腫などの合併症が生じます。特に熱帯熱マラリアは24時間以内に治療しなければ重症化し、死に至ることがあります。重複感染、再発の事例も多く報告されています。治療では、安静、栄養補給が重要とされました。
 マラリアには、キニーネ、プラスモヒン、アテブリンなどの薬品が有効でしたが、戦時下ではキニーネの原料であるキナ皮の輸入調達が難を極め、国内でマラリアの予防、治療の薬の開発、製造が進められることとなりました。軍だけでなく、民間製薬会社においても開発が進められ、予防内服薬、発症後の治療薬など、多くの種類が誕生したのもこの時期でした。
しかし戦地では、栄養失調などが重なり、十分な食事、薬を得られないまま苦しみ、命を落としていった兵が多くいました。軍医や衛生兵も例外ではなく、この戦争はマラリアとの戦いだとも言われました。

露営の様子(「遥かな思い出」より)
マラリアなどの病気を予防するためには、蚊帳の使用が欠かせませんでした。

デング熱

 蚊に刺されることで発症する病気のひとつにデング熱があります。デングウイルスをヤブカの仲間のネッタイシマカ、ヒトスジシマカが媒介してヒトからヒトへ伝播し、高熱、頭痛、関節や筋肉痛、発疹、出血などの症状があらわれます。マラリア対策と同様、蚊帳の使用の徹底、宿営地や衛生機関の周辺環境に注意が必要でした。

アメーバ赤痢

 赤痢のうち、寄生性のアメーバ(原生生物)の一種である赤痢アメ-バが原因のものを、赤痢菌による細菌性赤痢と区別してアメーバ赤痢と呼びます。汚染された水、食べ物などから感染し、大腸炎を発症します。症状は発熱、腹痛、嘔吐、血便、腸壁の穿孔による腹膜炎などがあります。戦場では清潔な水の確保が難しく、給水器が包帯所や野戦病院に配備されていないこともありました。宿営地などでは、水を煮沸してから使いましたが、行軍中、戦闘中には、水筒の水がなくなってしまい、喉の渇きに耐えられなくなった兵が、河川や水溜まりの水を飲んでしまい感染することもありました。

食料事情と栄養失調

 戦争末期には、どの部隊でも食料の補給がほとんど止まっている状況でした。戦闘や環境の悪化によって、将兵の大半がマラリアと赤痢、栄養失調に侵され、健康体の兵士は一人もいなかったと言われています。栄養失調になると、極度の疲労、全身削痩、消化不良、下痢といった症状が現れ、浮腫、貧血、臓器の萎縮、皮膚や粘膜の退行変性、重症になると腹水、胸水がたまってしまいます。
 命をつなぐためには、食べられそうなものを何でも食べて飢えをしのぐしかありませんでしたが、野生の動植物の中には、毒が含まれているもの、身体が衰弱している時に食べては、更に体調を悪化させてしまうようなものもありました。木の実なども食べつくし、ようやく見つけた「わずかな食べられるもの」の奪い合いが起こることもありました。
 徴発や自活農業も行われていましたが、それでも食料が足らなかったそうです。

ハルマヘラ島で食べた動物(「北支中支と軍隊の思い出」より)
この絵に描かれているものは「高級な」食材だったと記されています。

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