戦闘で負う傷の多くは、銃弾や砲弾によるものが多く、弾が身体を貫通すると貫通銃創、弾が体内へ残ってしまうと盲管銃創と呼ばれます。摘出弾は、体内に残った弾を取り出したものです。
 摘出弾には、小銃や機関銃などから発射される弾そのものや、爆弾や地雷などが爆発して飛散してくる破片など、大きさも様々で、受傷部位によっては摘出が困難なものもあります。
 戦時中、このような摘出弾は、陸軍病院や軍医学校で研究資料として保管されていました。被弾した兵士の身体から取り出された弾のひとつひとつには、受傷した時の場所、どのような傷を負ったのかが記されています。

摘出弾
『軍医団雑誌』283号より

 戦争末期には、兵器弾薬の不足を補うために、決死隊による攻撃を行う部隊も多くあり、相手から投げ込まれた手榴弾を拾って投げ返して戦うという戦闘方法で腕や眼を失う兵士が多くいました。
 兵士が負傷した際、前線の軍医や衛生兵は、まず止血、ガス壊疽えそ、破傷風の予防を行います。負傷兵の後送は、夜間に行われることもあり、野戦病院ではろうそくの灯りの下で手術をしたという軍医もいました。
 手術は局所麻酔で行われることが基本とされていましたが、医薬品の不足により、麻酔無しでの手術に耐えた兵士が多くいました。
 後送が遅れると、患部がガス壊疽えそになりやすく、進行すると命が助からないため、手足の切断を余儀なくされる事例もありました。また、重要な神経や血管の近く、脳の近くに弾が入り込んでしまった場合は、摘出できずに体内に残ったままという事例もありました。
 ある野戦病院の軍医は、形の歪む砲弾や迫撃砲の破片の摘出手術を数多く経験する中で、「負傷のひどい者になると、迫撃砲の破片が二十、三十と全身の肉の中に喰いこんで」いたと述べています。

クロールエチール
第一線で最も有効な麻酔薬だったとされています。
野戦病院では全身麻酔の際に用いられました。

 小倉陸軍病院(現独立行政法人国立病院機構小倉医療センター、福岡県北九州市)で長らく病院の一角で保管されていた摘出弾は、2019(令和元)年に当館へ寄贈されました。
 摘出弾は、戦場での痛み、救助にあたる衛生兵、処置にあたる軍医の奮闘を今の私たちに伝えるものといえるのではないでしょうか。

日支事変摘出小銃弾砲弾破片
寄贈:小倉医療センター
摘出弾(明治37年、38年)
寄贈:小倉医療センター
摘出弾(昭和13年)
寄贈:小倉医療センター
摘出弾(昭和13年)
寄贈:小倉医療センター

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