この額は戦時中、神奈川県小田原市の傷痍軍人箱根療養所に竣工された修養錬成施設の名称として「春輝寮」と名付けられたことにちなみ、陸軍大将奈良武次が揮毫したものです。その由来は昭和16(1941)年、入所者の修養錬成場(保育場・作業場)として木造2階建て1棟(約125坪)を恩賜財団軍人援護会が寄贈した関係から、同援護会総裁である朝香宮様が「春輝寮」と命名されました。
「春輝寮」は、箱根療養所に入所している患者の就学前の子供の教養指導できる場として保育および家族の錬成事業をおこなうことを目的として建設されました。「春輝」とは、春の日光の輝きを示すと同時に、父母の恵みをたとえる意味もあります。入所している子供への思いが込められた名前として命名されたのではないでしょうか。
当館所蔵資料には「春輝寮」額、「春輝寮」命名の由来を記した伝達書、建築規模を示す目録の三点が揃って残されています。建物が残されていない今日では、傷痍軍人箱根療養所に入所していた脊髄損傷者の作業場および保育場として建てられた事を示す貴重な資料となっています。