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 今回のしょうけい(小景)は、資料整理中に見つけた写真についてご紹介します。怪我や病気になった患者を、医療施設へ最短時間で搬送する「救急車」のルーツについてです。


兵站病院における患者自動車

 現在では、戦場での戦傷傷病者の移送手段としては、担架からヘリコプターに至るまで選択肢がありますが、やはり救急車が一般的ですね。日本初の救急車は「患者自動車」という名称で、大正7(1918)年のシベリア出兵時に誕生しています。
 当時は、軍用車両としてのトラック(自動貨車)の設計が完了し、手作りに近い生産が始まったばかりで、とても救急車の生産に回す余裕はありません。そこでアメリカのリパブリック社から20台のシャーシー(車台)を購入し、東京瓦斯電気工業(現在のいすゞ自動車・日野自動車のルーツ)がボディを架装、陸軍用に10台、日本赤十字社用に10台が生産(後にこの日本赤十字社の10台も陸軍に寄贈)されました。
 純国産ではありませんが、これが日本の救急車の最初のものです。満洲の悪路を想定した荷車のような大きな車輪で、ボディは電車のような無骨さですが、当時としては珍しい、エンジンの予熱を利用したオンドル式の暖房装置が装備されています。担架で4名、坐位で8名から12名と看護兵1名が同乗できました。同時期に、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアの救急車を輸入しましたが、こちらは悪路による破損・損耗が多かったようです。

 この「患者自動車」は残された写真も少ないのですが、不鮮明ながら、その1号車の写真を掲載しておきます。


患者自動車1号車

 我が国の軍事医療史と、自動車工業史にとっても貴重な写真です。当時、広大な極寒の地で「患者自動車」によって命を救われた戦傷病者も多かったことと思います。


広大な原野をゆく患者自動車

【小景(しょうけい)第10号】

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2014年