東北(秋田・岩手・山形)で収録した証言映像を1階の情報検索コーナーで公開しています。 ぜひご覧ください。
秋田県
「職業軍人を目指した父がみた現実」15分40秒
*晩年に語った戦争の苦しみ
あらすじ
父は農家の末っ子として生まれ、職業軍人を目指した。昭和14年満州に出征し、騎兵として戦車隊に配属。右胸湿性胸膜炎を発症し内地還送。また従軍中、右膝を負傷した。足の自由が利かないため仕事の選択肢は少なく、経理係やタクシーの無線配車係として働いた。晩年は、生きている者を置きざりにしなければならない戦地の非情さを振り返っていた。
岩手県
「家族で乗り越えた差別」13分46秒
*父と子に向けられた偏見
あらすじ
昭和20年、ニューブリテン島で右腕に弾を受け、肩下からの切断を余儀なくされた父。晩年まで雑貨商を営んだが、片腕であること、素人商いであることで苦労。片腕を失った父は、小児がんで片目を摘出した兄とともに世間の偏見にさらされたが、泣き言も弱音も吐かず、努力し続けた。「人間としてできる、最後の務め」と献体を決め遺言に記した。
山形県
「近衛兵の誇りで乗り越えた労苦」17分10秒
*鉄脚で新たな再起を図った奮闘の日々
あらすじ
近衛歩兵第五連隊に所属していた昭和17年、自転車部隊として南進しシンガポール攻略戦に参加、右脚膝を負傷。ガス壊疽をおこし右脚を切断、義足を装着した。雪深い冬場は分教場の助教として熱心に子供たちを教え、「鉄脚先生」と地元の新聞にも紹介された。戦後は家業の農業に専念。近衛兵としての誇りが、「隻脚、一本足の再起更生」を図る後半生を支えた。