三角包帯について、第86号でご紹介しました。今回は我が国で国産化された三角包帯をご紹介します。
石黒忠悳(ただのり)一等軍医正(中佐相当官)は、1個の包帯小包を手に入れ、早速開封してみます。これが、プロイセン(ドイツ)のエスマルクの三角包帯です。
石黒は「これは妙だ。この三角布が1枚あれば、全身のどの場所の傷も包帯が出来ない個所は無い」と感心して、早速数千枚を印刷させました。明治6(1873)年のことです。
この使用法のイラストが印刷された三角包帯使用して石黒軍医は、軍医、看護長、看護卒に配布して訓練させ、ついには各部隊の兵卒たちにも教育を施したのです。
当時としては高価な銅版印刷だったため、これは訓練用に供され、実用品として支給された三角包帯は、真っ白な無地のものです。「明治六年」「陸軍本病院(この時期は、陸軍省医務局は編成にありませんでした)」と記載されています。
明治10(1877)年、西南戦争が勃発すると、大量の負傷者に対応するため、衛生部員も増員されます。あわせて訓練用の三角包帯も増刷され、こちらは「明治十年」「大阪陸軍臨時病院」となっています。
春の企画展「一刻も早く!」及び「Pre企画展」では、戦傷病者の応急手当に必要な、各種包帯法資料の展示もあります。
皆様のご来館をお待ちしております。
【小景(しょうけい)第18号】