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 平成26年度上半期に、長崎の戦傷病者6名(収録時、最年少83歳、最年長99歳)の証言映像を収録しました。最年長の方は今年100歳を迎えられましたが、まだまだお元気です。証言映像の完成にともない証言映像の見どころを簡単にご紹介します(詳細は当館HP「映像検索」の「内容紹介」DVD Vol.29として公開予定)。公開については準備ができ次第、当ホームページでお知らせします。


収録風景

島原鉄道の撮影

長崎大学の撮影

 

「奪われた光をバネに」(準軍属)21分06秒

 16歳の時、長崎工業学校生の時に勤労動員として長崎電気軌道株式会社に勤務。昭和20年8月9日、寮で被爆。爆風により飛んできた何かの破片で右眉の上から右の頬を切開。左目も失明となるが…。

「心の優しさが生んだ義足の苦しさ」(陸軍)20分18秒

 三菱造船所に勤務中、昭和19年に入営。平壌航空隊の訓練で膝を痛め、放置した部分が悪化して左脚切断。戦後、義足装着後も再手術を繰り返す。病院の外泊許可で長崎諏訪神社大祭を見物中、偶然の再会が…。

「全てを奪われた少年の再起の人生」(準軍属)22分56秒

 昭和20年、三菱製作所に勤労動員として兵器の部品を製作。長崎の原爆投下のため工場内で被爆。落下してきた鉄屑で額と右大腿部を負傷。家族は全員爆死していたため伯父が全員の死亡届を提出。14歳で戸籍を失ったが…。

「受傷が拓いた人生」(海軍)20分21秒

 砲艦「熱海」に乗船時、米軍機による機銃掃射で左脚大腿部を貫通銃創、複雑骨折、右脚盲管銃創となり上海の海軍病院へ。戦後、帰宅するも再入院。長い間ギブス生活のため左脚が曲がらなくなったが…。

「生かされた人生への感謝」(陸軍)21分18秒

 昭和14年応召。シンガポールの戦闘で左腕を貫通銃創、盲管銃創、擦過傷。麻酔なしで砲弾破片の摘出という激痛を体験。機能訓練を受けるも左肘は完全に曲がらないため顔も洗えず、ものを握れないが…。

「近衛兵の誇りを胸に」(陸軍)19分57秒

 日中戦争で近衛歩兵第三連隊に配属。射撃の名手として活躍し除隊したが昭和16年に臨時招集。中国での夜間戦闘で右肩と右腕を負傷。戦闘継続中、小銃に当たった弾の破片が顔に十数個入る。眼球摘出は免れたが…。

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2015年