令和6年6月4日(火)から9月1日(日)まで、夏の企画展「海軍 青年たちの戦争―5名の足跡をたどって―」を開催します。

展示内容

 本展は、海軍に志願し、戦傷病者となった5名の青年の半生をみつめるものです。
 勇ましい軍人の姿、海原や大空に憧れを抱き海軍を志願した青年たちは、入団後の訓練を経て戦場へ赴いていきました。そこでどのような体験をし、何を思い、終戦を迎えることになったのか、5名の証言や手記、資料を通して紹介します。


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展示資料

展示Ⅰ. 5名の青年 戦傷病者の半生をたどる

展示Ⅰでは、5名の戦傷病者の、入団の動機、海軍での受傷病と治療の経緯、戦後のくらしについて寄贈資料とともに紹介します。

展示資料の一例



軍事郵便葉書
この葉書は、ミッドウェー海戦で負傷した方が病院から家族に送ったものです。整備兵として空母に乗艦していた時に攻撃にあって全身に大やけどを負いましたが、何とか一命を取り留めることができました。除隊後は役所勤務を経て実家の農業をつぎ、家族のために戦争体験を書き残しました。


肺のレントゲン写真
このレントゲン写真は、通信兵だった方のものです。海軍にあこがれて14歳で志願、レイテ沖海戦では助かったものの、その後の任務で疲労のために結核にかかってしまいました。戦後も長らく療養生活を続け、11年に及ぶ闘病生活で片肺は機能しなくなってしまいました。それでも社会復帰後は障害者福祉に尽力した人生を送りました。


句集「卯の花句集」
この俳句集は、両目失明となった方が代表となってまとめたものです。この方は14歳で親に内緒で海軍を志願し、1945年、戦艦勤務の待機中に空襲にあい、両目と肩、胸を負傷しました。戦後は、鍼・灸・マッサージの免許を取得して仕事に励む傍ら、障がい者団体の会長を務め、地域の福祉にも力を尽くしました。


結婚写真
この結婚写真は、海防艦に乗船中に攻撃を受け、片腕を失った方のものです。15歳で海軍へ志願し、18歳で右腕を失ってしまいました。戦後、片腕がないことでお見合いを何度も断られたことがありましたが、健常者に負けないよう仕事に励み、畳表(たたみおもて)の職人になりました。


日記帳
この日記帳の持ち主は、20歳で受ける徴兵検査を大学生だったので2年延期していましたが、1943年に海軍へ入団しました。その後訓練を経て小笠原諸島父島の砲台付きの任務を命じられました。連日の米軍の空爆により右手と右足を負傷、入団前は弁護士になりたいという夢を持っていましたが、戦後は家族を養うために新聞社で働き、新聞記者となりました。


展示Ⅱ. 海軍の負傷兵の救護と衛生機関

展示Ⅱでは、海軍の傷病兵の後送体系や、病院の種類、機能について解説し、配属された軍医の証言、手記などから、海軍での傷病兵の治療、戦争での体験などについて紹介します。

展示資料の一例

横須賀海軍病院(神奈川)
舞鶴海軍病院(京都)
湊海軍病院(静岡)
病室の様子
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