【お知らせ】しょうけい館は2・3階です。他の階はオフィスとなりますので立ち入りはご遠慮ください。

 昨年度、収録した証言映像は長崎県の戦傷病者6名、愛媛県の戦傷病者5名、福島県の戦傷病者2名(最年少83歳、最年長99歳:収録時)の13名を一挙上映します。それぞれの地域で今も活躍しておられる、戦傷病者の方々の貴重な体験を紹介します。併せて証言映像の見どころと、関連資料をミニ展示で紹介します。ぜひご覧ください。

会期:2月6日(土)~2月28日(日)
会場:しょうけい館 1階
開館時間:10:00~17:30(入館は17:00まで)
休館日:毎週月曜日
入館料:無料


証言映像プログラムはこちら

長崎県

「奪われた光をバネに」(準軍属)21分06秒

 16歳の時、長崎工業学校生の時に勤労動員として長崎電気軌道株式会社に勤務。昭和20年8月9日、寮で被爆。破片で左眉の上から左の頬を切開。左眼失明となるが…。
〔展示資料〕毎朝、手入れを欠かさない義眼

「心の優しさが生んだ義足の苦しさ」(陸軍)20分18秒

 昭和19年に入営。平壌航空隊の訓練で膝を痛め、悪化して左脚切断。戦後、義足装着後も再手術を繰り返す。病院の外泊許可で長崎諏訪神社大祭を見物中、偶然の再会が…。
〔展示資料〕左脚切断後の入院写真

「全てを奪われた少年の再起の人生」(準軍属)22分56秒

 昭和20年、長崎三菱製作所に勤労動員中、原爆投下で工場内被爆。落下してきた鉄屑で額と右大腿部を負傷。伯父が家族全員の死亡届を提出。14歳で戸籍を失ったが…。
〔展示資料〕死亡取消後の戸籍謄本

 

「受傷が拓いた人生」(海軍)20分21秒

 砲艦「熱海」に乗船時、米軍機による機銃掃射で左脚大腿部を貫通銃創、複雑骨折、右脚盲管銃創。戦後、帰宅するも再入院。長い間ギブス生活のため左脚が曲がらない…。
〔展示資料〕受傷を示す恩給診断書。戦傷奉公杖

 

「生かされた人生への感謝」(陸軍)21分18秒

 シンガポールの戦闘で左腕の貫通銃創、盲管銃創、擦過傷を負う。麻酔なしで砲弾破片の摘出という激痛を体験。機能訓練を受けるも左肘は完全に曲がらないが…。
〔展示資料〕摘出された砲弾破片・『読んでください』

 

「近衛兵の誇りを胸に」(陸軍)19分57秒

 日中戦争で近衛歩兵第三聯隊に配属。射撃の名手として活躍し除隊したが昭和16年に臨時招集。中国での夜間戦闘で右肩と右腕を負傷。銃身に当たった弾の破片が顔に…。
〔展示資料〕出征直前の写真

 

愛媛県

「耐えて得た人生」(陸軍)19分06秒

 湖北省咸寧県付近の戦闘で左脚関節部を貫通銃創。陸軍病院で手術、内地還送されて除隊後、入退院を繰り返す。郵便局へ復職中に開戦。痛みをこらえて自転車で通勤…
〔展示資料〕出征時の記念写真

 

「一日のことで人生が変わる」19分05秒

 ジュラルミンの精製作業中、溶鉱炉のある3階から2階へ転落し膝を強打。右脚は曲がらないまま。昭和20年、徴兵検査で丙種不合格となる…
〔展示資料〕日輪兵舎時代の写真

 

「負傷したことのハンディをバネに」(海軍)20分38秒

 昭和16年、ゼロ戦の試験飛行中に墜落して顔面と左腕を負傷し漢口海軍病院へ入院、2か月間意識不明。入院中、開戦。ゼロ戦を破損させた思いと参加できないくやしさ…
〔展示資料〕飛行兵時代の写真

 

「戦傷の身で川之江町へ…」19分51秒

 昭和17年、ルソン島で米軍と戦闘中、顔面擦過傷と右上膊、腰部の砲弾破片創となる。大阪陸軍病院で除隊。堺に復職後、除隊でありながら勤務時に再召集され…
〔展示資料〕受傷後の入院写真

 

「右脚一本、海で生きた軍属」(海軍 軍属)19分47秒

 昭和18年、関門海峡を通過する船を監視し機雷掃海に従事。掃海艇で門司港を出港時、機雷に接触して轟沈。両足を負傷。左脚膝下の三分の一を切断。病院で玉音放送を…
〔展示資料〕戦後、船員となった証明の船員手帳

 

福島県

「みんなのため、人のため…(最後の日傷会長)」30分06秒

昭和17年に左脚大腿部を盲管銃創、昭和19年に右上膊右前膊軟部貫通銃創。内地還送を拒否し2回目の戦傷で正中神経の縫合手術。 支那派遣軍総司令部に転属され終戦…
〔展示資料〕恩給診断書

「無いものは無い、それでもやるほかない…」19分25秒

 徴兵検査で甲種合格。台湾の高雄へ。昭和20年、高雄から屏東飛行場へ行軍中、米軍の機銃掃射で右肘を貫通銃創。高雄陸軍病院にて麻酔なしで切断手術を受ける…
〔展示資料〕片腕で自転車乗っていた時の写真

 

 

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2016年