平成27年度に収録しました証言映像(大分)をご紹介します。
「人生を切り開いた知恵 ~シベリアで片腕を失う~」19分38秒
90歳を迎え、目標は「ギネスに載るくらいまで生きていたい」と語る証言者。片腕であることを感じさせないほどのバイタリティ。
あらすじ
陸軍に入営。満州で終戦を迎え、シベリアに抑留される。収容所では貯蔵庫から食糧を失敬し、飢えをしのぐ毎日。カラカンダの炭坑でベルトコンベアに巻き込まれ、右腕を失う。今も肩の付け根は痛む。
「受傷した手で挑んだ開拓 そして、人のために…」21分36秒
自分が人に救われたことを糧に「命の電話の相談員」等を行ない、生活に苦しんでいる人のために奔走。
あらすじ
満州で徴兵検査を受け昭和20年、ソ連軍との交戦で手・腹・頭・足に受傷。指先を失った。終戦後、故郷に戻り、痛む手に鍬を握って妻と山の開拓に励む。軍人恩給は、証明書類を消失のため断念するも、医師の勧めで手続きを知り受給された。
「最後まで傷痍軍人として」22分22秒
傷痍軍人の自立運動の先頭に立って行動した証言者。「死ぬまで傷痍軍人」と豪語。今、生活に不自由はないと言い切る。
あらすじ
陸軍に志願。中国広西省で右腕を負傷。腕の切断手術を受けた直後に終戦を知った。管理の崩壊した病院を転々とし、武昌の陸軍病院に収容された時は丸裸状態。昭和21年に引揚げ、結婚。郵便局に勤めるも食糧の確保に苦労した。
「生き残った苦しみ ~CT登場で認められた脳の受傷~」24分14秒
昭和50年代にCTが導入され、念願の頭部損傷が認められた証言者。今は特攻で亡くなった仲間を供養。
あらすじ
爆撃機銀河のパイロット。宮崎海軍航空基地で特攻隊の出撃を何度も見送る。沖縄戦に投入され、脳が見えるほどの傷を受けつつも鹿児島沖まで飛び不時着。終戦後は大学進学を断念。頭痛と体のしびれ、てんかんに悩む。
「全てを受け入れて ~肺結核の夫を支える~」17分13秒
今は亡き夫について回顧する。妻は肺結核だった夫の体を気遣いつつ農作業に奮闘した。
あらすじ
輜重兵としてブーゲンビル島で勤務中、結核を発症。戦後は小学校に復職するも症状が悪化、昭和25年教員保養所に入所。肺の一部を切除し退院後も無理が効かなくなる。