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 全国各地で証言映像を収録していると、その地域の実情が見えてきます。地域別で収録しているため、その地域差が顕著に感じられる場合もあります。今回は、「偶然」をテーマに、<ある証言>としてまとめてみました。

ある証言1
戦傷病者として左脚切断して戦後、地元へ戻るも就職のあてもなく、以前勤めていた造船会社へも復職できないままでいました。その時、地元の大祭があったため気晴らしに神社の鳥居の脇で佇んでいたところ、偶然にもかつての上司に再会しました。これがきっかけで就職することができたのです。ご本人も、あの祭りの人ごみの中、よくぞ見つけてもらえたと感謝していました。まさに強運の持ち主ではないでしょうか。




ある証言2
三度命を救われました。一回目は敵の戦車に肉弾攻撃を命じられ、決死の覚悟で爆弾を抱えて突っ込んでいったところ、幸運にも人が入るくらいの穴が開いていたため、戦車が来る前にその穴へ落ちて助かりました。二回目は日本へ送還時、病院船に2回も乗れないままとなってあきらめかけていたが、三度目に乗船。先に乗れなかった2回の病院船は全て撃沈されてしまいました。三回目は広島陸軍病院に入院中、病院関係者とのケンカがもとで病院を追い出されました。その数日後、広島に原爆が投下されました。まさに三度目の正直でした。




ある証言3
ジュラルミン(アルミ合金)の精製工場で勤労動員として作業していた時に2階から落下して負傷し、入院することとなりました。これにより徴兵検査も丙種不合格となり、人生の挫折を味わいました。しかし、人生何が幸いするかわかりません。戦後、ジュラルミン工場で働いていた同僚のほとんどが、胸を病んで早死にしてしまったそうです。怪我したからこそ、今日まで長生きできたのでは、と自問自答しながら人生の奇異な運命をかみしめていました。



(学芸課)
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2016年